エヌ氏の遊園地

星新一大好きです|д゚)

苔と

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諸行無常祇園精舎の鐘の音などという言葉もあるが、形あるもの必ず終わりがある。

特に緑に浸食されて終わりを迎えるということは日本に於いては、決して珍しいことではないのだ。

そして浸食されているからと言ってそれは悲しむべきことではない。

緑と人工物が互いの良さを引き出しあうこともある。

それは好いことなのだ。

 

そんなときに居合わせた僕自身の幸運に顔をほころばせながらも、

自身の後ろをひたひたと追いかけてくる終わりを確かに感じ取ってしまい、

どこか寂しい気分になってしまう。

僕の終わりも何かの役に立つのだろうか?